楽に生きる

人生のつらい・苦しいから解放されたいならすべての「正しさ」を疑え!

朝起きるのがつらい。
会社にいくのがつらい。
人生がつらい。

なぜ苦しいと感じるのか?
苦しさから解放されるためにはどうしたらいいのか?

そのヒントがかかれている「悪魔とのおしゃべり」という本を読みました。

とくに印象に残っているのが、「すべての正しさを疑え」という言葉です。

生きるのが苦しいのは「正しさ」が原因

苦しさ、つらさ感じるのはすべて「正しさ」が原因です。

「正しさ」とは「○○するべき」「○○してはいけない」といったこうあるべきという価値観のことです。

たとえば、朝起きるのがつらいのは「遅刻してはいけない」「サボってはいけない」という正しさがあるから。

仕事がつらいのは、「会社をサボってはいけない」「働かないといけない」という正しさがあるからです。

また罪悪感をいだく場合も同様に、私たちの正しさが影響しています。

万引きしたことに罪悪感があるのは、「万引きは悪いことである」という正しさがあるから。

浮気に罪悪感があるのは、「一人を愛するべきだ」という正しさがあるからなのです。

親、先生、国、宗教から押し付けられた、無数の「正しさ」の一つひとつが、私たちに苦しみ、生きづらさ、罪悪感を生み出しています。

「苦しみ」は「正しさ」の副作用

<中略>

人間に「苦しみ」を与えているのは……、 人間から可能性を奪っているのは、「正しさ」のほうだ。

ということなのです。

すべての「正しさ」を疑う

人生に苦しさから解放されるためには、私たちが抱えこんできた無数の「正しさ」を疑わないといけません。

たとえば
「遅刻をしてはいけない」
「遅刻しないのが正しい」
という正しさ(価値観)があります。

そしてこの正さが「朝起きるがつらい」「会社にいくのがつらい」「仕事がつらい」など、私たちの苦しさをつくり上げています。

時間に追われて疲弊するのも、この正しさがあるからです。

この正しさを疑うのです。

なぜ遅刻してはいけないのか。
「遅刻しないことが正しい」というのは誰が決めたのか。
本当に遅刻しないことは正しいのか。

といったようにいろいろな角度から正しさを疑ってみるのです。

そうすると「遅刻をしてはいけない」というのは、誰かが勝手に決めたルールであり、誰かが勝手に信じているルールにしか過ぎないことがわかります。

しかし、だからといって「遅刻をしろ」とか「遅刻してもいい」というわけではありません。

「遅刻をしろ」とか「遅刻してもいい」というのも、また正しいものとして自分を苦しめることになってしまうからです。

「遅刻してはいけないが正しい」を否定して、「遅刻するが正しい」と考えてしまうと、また正しさを抱え苦しむことになるのです。

ではいったい何が正しいのか。

外側に答えを求めても自由になれない

正しさを疑うと、何が正しさかわからなくなります。

しかし「何が本当に正しのか?」を求めている時点で正しさに囚われてしまっています。

外側に正解を求めている時点で、自分の人生を外の何かにゆだねているのです。

親や先生に、何が正しいのかを聞けば、そのときは納得するかもしれませんが、あとになって押し付けられた正しさ、に苦しみます。

正しさを宗教に求めれば、そのときは納得できても、宗教の教えに縛られて苦しみます。

てことは、「正しさ」を外側に求める態度が、すべての苦しみの原因じゃないか。

「どうすればいいの?」という俺の態度が、外界に自己のコントロール権を渡し続け、それに苦しんでいたのか。

楽に生きたいのであれば、すべての正しさを疑うこと。そして「何が正しいのか?」の答えを外にも求めないこと。

これが大切ということなのです。

※参考

RELATED POST