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食糧問題解決のため「食の利他主義」とは?|『食の歴史 人類はこれまで何を食べてきたのか (ジャック・アタリ著)』より

食の利他主義とは

2050年、人類は食えなくなるかもしれない。この悲観的な主張をするのが、欧州最高峰の知性と呼ばれるジャック・アタリだ。彼は『食の歴史 人類はこれまで何を食べてきたのか』のなかで次のように主張している。

今日の西側諸国と同じ消費モデルを持してより多くの人々を養うには、今から2050年までに世界の食糧生産量を70%引き上げなければならない。これを達成するのは不可能に思える。そのような目標をまともに達成しようとすれば、人類どころか地球が壊れてしまう。

食の歴史: 人類はこれまで何を食べてきたのか p266

これから2050年向けてさらに人口は増え続ける。増える人口を賄うための食糧を生産するためには、さらに森林を伐採し農地にし、農地の生産性を向上させるために農薬や化学肥料を使用しなければいけない。

しかしそれらのことを続ければ、森林伐採や土壌汚染などが進行し、食糧を生産できない不毛の地がさらに増えることになる。やがて人類全員の食糧を補うことができなくなる日がくる、とジャック・アタリは警鐘を鳴らしているのだ。

最悪な未来を迎えないために、われわれ今から何をすればいいのか。

ジャック・アタリ氏が提案するのは「食の利他主義」だ。これは食に関して利他的に行動することである。

食糧問題を解決するのに大切な「食の利他主義」とは?

「食の利他主義」とは、他者にとっても、自然にとって良いものを消費することが、自分自身にとっても良いことであるという考え方だ。

自分のために行動するより、他者のための行動するほうが、巡り巡って自分のためになるという「利他主義」を食の分野に拡張した考え方だといえる。

では「食の利他主義」とは具体的に何か? 具体的な行動指針として以下の6つをあげている。

  1. 少肉多菜
  2. 少糖
  3. 地産地消
  4. ゆっくり食べる
  5. 自分が食べているものを知る
  6. 節食

解説していく。

少肉多菜(肉を減らして野菜を多く食べる)

まずあげているのが「少肉多菜」だ。シンプルにいえば、肉を食べる量を減らし、野菜をたくさん食べろということだ。

ヴィーガンやベジタリアンにも通じる食行動だといえる。ヴィーガンというと日本では、特定の動物の権利だけを重視し、対象外の動物の権利は無視する、非論理的な人であると揶揄的に捉えられることが多い。またベジタリアンに対しても健康志向やダイエットなど、自分のためだけに取る食行動だと捉えられがちだ。

たしかにそういった側面もあるが、肉を食べる機会を減らし、野菜を食べることは、地球環境にも良いことだといえる。

たとえば、家畜は人間よりも多くの食糧と水を必要とする。牛肉1キロを生産するのに必要な水の量は、約13,000リットともいわれている(トウモロコシの場合は、約500リットル)。さらに家畜からでた糞尿が水路に廃棄されることによる、水質汚染も問題になっている。

また放牧地確保のための森林伐採も問題だ。増えた人口と急増する肉の需要に応えるために、多くの森林が家畜を放牧するために伐採されているという。また家畜がゲップによって排出する温室効果ガスの問題が話題になることも。

家畜の飼育は、環境に多くの負荷をかけることになる。だからジャック・アタリは少肉多菜を主張しているのだ。これはもちろんヴィーガンやベジタリアンになれということではない。毎日肉を食べていたのを、週4回などに減らせということだ。

少糖(砂糖の過剰摂取をやめる)

少糖とは、端的にいえば砂糖を摂取量を減らすことであるが、それが食糧問題の解決につながるのか。

砂糖には中毒性があり、過食につながるという。またご存知の通り、大量に摂取すれば肥満になり健康を害することになり、まわりの人に迷惑をかけることになるかもしれない。それでは利他的とはいえない。

海外では砂糖の摂取制限に積極的で、2016年WHOは肥満を撲滅するために甘味飲料に20%課税すべきだと訴えているそうだ。一部の国ではこの方針に従って、糖分を控える運動をしているという。

ただしジャック・アタリは、過度な糖質制限はすすめていない。というのも糖質が欠乏すると、人間は攻撃的な欲望を抑えられなくなるからだ。あくまで過剰摂取をやめるべきだと主張している。

筆者も課税したり、規制したりするのは反対だ。個人の判断に委ねるべきだろう。

地産地消(輸送コストが低いものを選ぶ)

日本でも大分みかけるようになった地産地消。これは地元の食材を地元で消費しようという試みであり、ジャック・アタリもこの地産地消を勧めている。地産地消をすれば、輸送に際して発生する二酸化炭酸の量を削減でき、消費エネルギーも抑えられるからだ。

輸送技術の進化とグローバル化によって、季節、地域問わず、われわれは世界中の食物を近所のスーパーで、手軽に手に入れられる。

一方で、その便利さを維持するのにかかる環境負荷は大きなものだ。栃木県で採れた野菜を東京に配送するのと、ブラジルで採れた野菜に配送するのとでは、消費するエネルギーにも、排出する二酸化炭素にも大きな差が生まれる。

日本で栽培が難しいコーヒーやバナナなどは仕方ないにしても、日本でもたくさん生産されている野菜や果物、肉などは日本産を選択肢したほうが地球のためになる。またこのような地産地消の取り組みは、食料自給率をあげることにも貢献する。食料自給率の向上は、日本の自立を高めることにもなる。

地産地消の取り組みは、食糧を輸出することで外貨を稼ぐに国にとっては、歓迎できないことかもしれない。しかしそれが環境問題、食糧問題解決の一助になるのであれば、長い目でみて利他的な行動であるといえる。

ゆっくり食べる(ゆっくり食べることで食べる量を減らせる)

ゆっくり食べることも食の利他主義になるという。というのも、ゆっくり食べることで、食べる量が減る可能性があるからだ。

早食いよりも、ゆっくり食べるほうが、満腹中枢が刺激され、食べる量が少なく済む場合があるというのはよくいわれることだ。満腹度が同じなら、食べる量は少ないほうがいい。地球にとっても、本人にとっても。

ゆえに「ゆっくり食べる」も食の利他主義になる。またゆっくり食べることで、人との会話を楽しむことができ、心も豊かになるとジャック・アタリは主張している。

自分が食べているものを知る

「食のトレーサビリティ」のことだ。たとえば目の前の一杯のコーヒーが、どこの国で、どのような労働環境で、どのような栽培方法で作られ、そして誰によって、どのように日本まで配送されているのか、をしるということだ。

たとえば、アメリカで遺伝子組み換えによって大量生産された食べ物は、化学物質を大量に使っている場合があり、環境破壊にもつながる。ベジタリアン、ヴィーガンになったとしても、化学肥料を大量に使用し、森林伐採を伐採し、低賃金で働かせて生産された野菜を食べていたのでは、まったく利他的ではない。

食糧問題、環境問題に取り組むなら、その食物がどこで、どのように作られたのかをしっかり把握するべきである。

食育(食物に関する教育)

現在のような食生活を続けることはできるのか、続けられないとしたらわれわれはどういった行動を取るべきなのか。

何を食べればいいのか、何を食べるのが良くないのか。そういったことを学校などでしっかり教育することが大切であるとジャック・アタリは主張している。

他国の教育についてはあまり知らないが、日本における食の教育が足りているとは思えない。

たとえば、日本はアメリカやヨーロッパ諸国と比べて、ベジタリアンやヴィーガンを選ぶ人が少ない。またオーガニックやフェアトレードへの感心も高いとは思えない。店によってばらつきがあるが、ほとんどのスーパーでは、オーガニックやフェアトレードの食品の取り扱いはかなり少ない。フランスのスーパーではオーガニックが当たり前だという。

またオーガニックやヴィーガンといった食行動を取る人を「意識高い系」と揶揄する風潮がある。もちろん自身の主義を他人の押し付ける過激なヴィーガンなどは非難されてしかるべきであるが、それにしても日本人はあまりにも環境問題や食糧問題に対して、意識が低くすぎるように思う。

日本人は安全・安心と味にはとても注意を払うが、しかし環境問題や食糧問題への関心のなさは、後進国としか思えない。

節食(食べ物を節約する)

摂食とは、節度をもって食事をとることだ。たとえば過剰な食事をやめたり、食糧の廃棄を減らしたりすることだ。

今ではだいぶ少なくなったが、以前は当たり前であったコンビニの恵方巻の大量販売と大量廃棄は異常だ。また今では予約販売の店が増えているが、ケーキのクリスマスケーキの大量販売と大量廃棄も異常だ。

他にも大食い番組を放映して、大食いをエンタメ化してそれを煽るのもやめるべきだろう。最近では多くのYoutuberが真似しており、大食いチャンネルは掃いて捨てるほど存在する。なかには食べ物を全部吐いて、食べるシーンだけを動画にしていた大食いYoutuberもいたという。異常でしかない。

ジャック・アタリは「飽食の社会で暮らす人が節食するのは、本人ならびに地球環境にとって有益だ。」と主張している。まったくそのとおりだ。

食の利他主義は実行が難しいが、小さいことからコツコツやるしかない

ジャック・アタリ氏が本書で提案する「食の利他主義」は素晴らしい考えだ。一方で、難易度が高いのも事実だ。

「少肉多菜」「地産地消」を提案しているが、これらを完璧に実行できるのはお金と時間に余裕がある人だけに限られる。貧困の人にとってなにより重要なのは量と値段であり、産地など見ている余裕はない。同じ値段ならお腹に溜まらない野菜よりも、肉を選ぶだろう。

また個人だけでなく企業の啓発も重要だろう。たとえばレストランなどの外食産業。いくら地産地消が大切といっても、値段を下げるために輸入食品に頼っていたのでは、いつまでたっても地産地消は成し遂げられない。食のトレーサビリティについても、販売者側が開示してくれなければどうにもならない。国が制度化すべきなのかもしれないが。

個人の力は小さい。しかし、それでも一人ひとりが行動を変更させることで、徐々に他の人にも伝播し、大きく変わる日がくるかもしれない。われわれできることから、無理のない程度で、小さくてもいいのでコツコツと、利他的に行動していくしかない。