人類は食えなくなるのか?『食の歴史 人類はこれまで何を食べてきたのか (ジャック・アタリ)』書評

食の歴史 ジャック・アタリ

人間はこれまで何を食べてきたのか? 人間にとって食事とはどんな役割をになってきたのか?

『食の歴史――人類はこれまで何を食べてきたのか』は過去、未来など時系列的な視点と、ヨーロッパとアジアなど地域的な視点から食の歴史をたどる一冊だ。

著者は欧州復興開発銀行の初代総裁をつとめ、欧州最高峰の知性と呼ばれるジャック・アタリ氏。

彼はフランス人だ。フランスといえば、世界三大料理の1つであるフランス料理を有する国であり、また先進国のなかでも食事にかける時間が長く、食事と食文化を大切にする国としても知られている。そんなフランスで生まれ育った著者が食の歴史を語る。

さらに本書では食の歴史だけではなく、食も未来についても存分に紙面が割かれている。つまり、ジャック・アタリが予測する、人類と食の未来が記された一冊なのだ。

著者はフランス人なので、必然的にヨーロッパの話に紙面が割かれるし、意見の偏りもある。それでも人類がこれまで何を食べ、食事の時間をどのように使ってきたのかを大きな視点で把握できる一冊だ。

本記事は、本書「食の歴史: 人類はこれまで何を食べてきたのか」について、その内容の概要を簡単に説明していく。 

人類と食の歴史:食事は人間にとって重要な場だった

本書の前半で論じられるのは、食の歴史だ。内容はヨーロッパ地域が主役ではあるが。また内容としてはそれほど深いものではないかもしれないが、人類と食の歴史を一気に俯瞰できるようになっている。

定住化した人間は神を創造した

人類は火をつかえようになり、食事を加熱処理できるようになると、それまで消化についやしていたエネルギーを脳につかえるようになった。そのおかげで人類の脳は発達し、複雑な思考ができるようになったという。

狩猟採集で生きていた人類は、そのうち牧畜や農業をはじめ、それにともなって定住化をはじめた。牧畜、農耕をはじめると、人類は豊穣を願うようになった。いつしか願う対象が女神になり、女神に祈るようになる。神の誕生だ。

人間は豊穣を神に祈るようになった。つまり、人間はたくさん食べるために食べるために神をつくったのだ。

イスラム教やキリスト教、そして仏教もヒンドゥー教も、食と密接にかかわっている。食事の前に祈りがあったり、神に食べ物を捧げたり、食べてはいけない動物があったり、断食があったり、あらゆる宗教は食事に言及している。

これは食事と宗教が密接にかかわっていることの証拠だろう。

また定住化した人類は天体を観測し、1日や1週間といった時間の概念を手に入れた。同時に食事の時間が固定化されたり、1日の食事の回数が固定化するようにもなったという。

食糧を守るために人類は武装した

農耕によって食糧の生産性が高まると、余剰食糧がうまれた。余剰食糧ができると、それを持って移動することはできなくなる。つまり余剰食糧を守る必要がある。人類は食糧を守るために武装しはじめた。

軍人の登場だ。

人間は自分たちの食べ物を守るために武装した。他方で武装は他の集団の食糧を奪い、生きるためでもあっただろう。武力、そして戦争は食と密接にかかわっているのだ。

ダムの建設と灌漑は帝国をうんだ

紀元前6000年頃、メソポタミアの農民は洪水に対処し、農業の生産性をあげるために、ダムの建設と灌漑をおこなった。またこれらの設備を活用するために、より多くの人間が固まって生活する必要性がでてきた。そうこうして多くの人々が同じ場所に集まるようになり、集落は帝国になった。

帝国は食の必然性からできあがったのだ。

また食糧の生産性が高い帝国は、多くの人口を養いどんどん大きくなったという。人間が食べ物がある場所に集まり、帝国を、そして文明を築いていったのだ。

食事は議論や自己主張のための場だった

人類にとって食事はどんな意味をもつ時間だったのか。

古代も中世、ヨーロッパにおいてもアジアにおいても、食事は人々が会話をするための重要な場だったという。王や貴族、政治家は食事の時間を使って意見を交換したり議論をしたり、重要事項を決めたりしたし、豪勢な食事をとることは権力の象徴にもなった。食事は力をアピールする場としても使われたのだ。

またギリシア人にとって、農業を行なわない人、パンを食べない人々、ワインを飲まない 人々は野蛮人だったという。というのも食事は何よりもまず会話の場であり、食はすなわち言葉だったからだ。宴や会食を行わないなど野蛮だという考え方すらあったのだ。

また一般家庭において、食事の時間は子供の話を聞く場であったり、大人が子供にしつけ、いろいろな知識を教える場だったという。家での食事は家族が集まる時間だ。同じく宴や晩餐は街の人が一堂に会する貴重な時間だ。食事は家族や村といったコミュニティにおいて、とても時間だったという。

フランス革命は食が原因で起きた

人類史のなかで大きな転換点となるフランス革命は、食が原因だったという。

フランスでは1700年のはじめ頃から天候不順が続いており、小麦の価格が高騰していた。また王がヴェルサイユ宮殿に大量の穀物を隠しているという噂が流れたこともあり、王に対する不信もあった。農民の不満は蓄積されていたのだ。

1789年に追い打ちをかけるように天候不順が訪れ、小麦の不作とパンの価格高騰が起こった。フランスの人口の3分の2を占めていた農民が中産階級と結託し、フランス革命がはじまった。

フランス革命は空腹が原因で起きたともいえるのだ。

古代、食べ物を守るために武装した人類は、自分たちの食をまもるために、フランスで革命を起こしたのだ。空腹が近代国家を誕生させたのだ。

工業化によって食事は無駄なものに

食事のもつ意味は工業化とともに大きく変わったという。大衆層が工場で働きはじめてから、食事は出先でするものになった。また食事は知らない人同士や、1人でするものになった。食事のノマディズム化と連帯感の喪失だ。

また19世紀頃のアメリカは、「質素で人工的な食べ物が必要」「食卓で無駄な時間を過ごすべきではない」「食べる時間は退屈なものだ」「味を二の次でエネルギーを摂取できることが大切」という風潮が流布した。
また1860年頃には、アルコールや肉、香辛料、性行為は健康によくないとし、粗食を勧めた牧師がいたという。

近代のアメリカやヨーロッパにおいて食事は、味を楽しんだり、会話を楽しんだりするためのものではなく、エネルギーを補給するためのものという、食の機能的な部分が重視された。

現在でも一部には食事をする時間を無駄ととらえる人がいる。たとえば食事はできるだけはやく終わらせて仕事や趣味に打ち込みたいという人た。その原型は、近代の産業革命期に、効率化が進められたときに現れたのだ。

人類は食えなくなるのか? 食の未来について

本書は食の歴史だけでなく、食の未来について紙面がさかれており、ジャック・アタリの考察を読める。正直にえば、前半の食の歴史よりも、後半の食の未来予測のほうが興味深い。

まず、食の未来に関するジャック・アタリ氏の見解は非常に悲観的だ。

人類を養うのは不可能になるのか?

まず著者は、2050年には人類全員を養うだけの食糧生産は難しいと論じる。

今日の西側諸国と同じ消費モデルを持してより多くの人々を養うには、今から二〇五〇 年までに世界の食糧生産量を七〇%引き上げなければならない。これを達成するのは不可能に思える。

そのような目標をまともに達成しようとすれば、人類どころか地球が壊れてしまう。

食の歴史: 人類はこれまで何を食べてきたのか p266

人口は増えている。増えた人口の食糧を生産するためには、森林を伐採し農地にする必要がある。農地の生産性を向上させるためには肥料や農薬などの化学物質を使用する必要があるし、自然界には存在しなかった遺伝子組み換えの作物を利用する必要がある。しかし化学物質を使用すれば、土壌は壊滅し、食糧を生産できない不毛の地になっていく。そのように著者は警鐘を鳴らす。

また、森林伐採と土壌汚染といった一連の行為は生物の多様性を壊滅させる行為でもある。我々は人間は、自分が食べられる限定的な食べ物を生産するために、多様な生物を絶滅させているのだ。

我々は過剰に肉や魚を生産し、それを食べている一方で、膨大な量の食べ物を毎日廃棄している。たくさんつくり、たくさん廃棄する。このような食生活を続ければ、増える人口を養っていくのは無理だ。

孤食化が進むのは悪いことなのか?

本書では、人間の孤食化についても警鐘を鳴らしている。

食べるという行為は、身体だけでなく精神も養う。現在の傾向が続くと、会食は、時間の共有、懇親、意見交換、共通の認識の形成という役割を失いそうだ。人類史において五○○○年以上 続いてきた会食という社交の場は消え去り、個食化はこれまで以上に進行するだろう。

食の歴史: 人類はこれまで何を食べてきたのか p300

孤食化が進んでいるのは一目瞭然だ。単身世帯が増えたし、家族と同居していても、食事の時間をバラバラで、家族全員が別々に食事をとるのがあたりまえだ。

飲食店においては、1人でも入りやすいお店がどんどん増えており、これも孤食化を象徴している。

それにしても、孤食化は悪いことなのだろうか。

ジャック・アタリ氏は、孤食化について非常に悲観的だ。その理由は孤食化によって、会話の場が失われ人々が孤独になっていくからだ。

人は孤独感を解消しようと過食をしたり、糖分の過剰摂取をしようとしたりするそうだ(すべての人がそうではないが)。

食糧問題を抱える人類にとって、孤独による過食は歓迎すべきことはでない。そもそも孤独で精神的に不安定な人が増えることが、社会にとっていいことであるはずがない。

食事は人と会話をする重要な場だ。その重要な場である食事が孤食化していくということは、人と人の会話がなくなっていくということだ。

孤食化によって子供が学ぶ機会が失われる

さらに孤食化は子供の教育にも影響を与えるという。子供は、食事の時間に大人と会話し思考力を養う。家族や社会の一員になるために、ときには反抗するするすべを食事の時間に学ぶ。子供が大人、家族、社会について考え、意見をもつ機会が失われていくというのだ。

最近は自分の頭で考えられない人が増えている。テレビのニュースを無批判に信じてしまったり、ニュース記事をタイトルだけで判断してしまったりする人が増えている。もしかしたらこれは、大人との食事の時間が失われ、思考力が養われないまま大人になってしまったことが原因でもあるのだろうか。

もちろん原因はほかにもあるだろうか、家族における食事の時間を失われ、家族間の会話が失われることは、家族関係の希薄化をまねくだろう。

我々は「沈黙の監視型社会」で暮らすことになる

著者のアタリ氏は「市場経済の社会において生じる苦悩を解消するために推奨される行為は、会話や美食を楽しむことではなく、自身の健康、そしてそれが食によっていかに脅かされているかを注視することである。」と主張している。

まったくのそのとおりだ。食事は会話や味を楽しむためのではなく、エネルギーを摂取したり、健康を維持すためだったり、食事を機能的にとらえるようになりつつある。

それにともなって人々は自分の健康維持のため、ネットに繋がれた腕時計で、体重や血圧などを計測している。

ネットに繋がれた腕時計、もしくはスマホは、計測した情報をもとに「あれを食べろ」「今はそれを食べるな」「最近〇〇という栄養が足りていない」「そろそろ運動しろ」といった指示をしてくる。もちろん健康維持のためにその指示に従うことが大切だが、次第に人間は「長生き」のために、テクノロジーの支配されて生きることを選ぶようになるのだ。

ジャック・アタリ氏は、それを「沈黙の管理社会」という。「沈黙」というのは、人々は食事における会話をないがしろにするようになり、テクノロジーの指示に従って、個々人がカスタマイズされた食事を1人で黙々と摂取するようになるからだろう。

この「沈黙の監視社会」の到来で、人間は人間性を失う孤独なロボットになるという。

われわれは沈黙の監視型社会で暮らすことになるだろう。長寿を約束する独裁者に身を委ねるのである。長寿の対価として、われわれは、話す、聞く、意見を交わす、感情を抱く 愛する、楽しむ、叫ぶ、苦しむ、背くなどの、本当に生きるという行為を断念しなければならない。沈黙の監視型社会では、あらゆることが禁じられるのだ。

p306

食の未来を守るための「食の利他主義」とは?

人口増による食糧不足と環境問題。孤食による孤独化。健康に生きるために押し付けられる「沈黙の監視社会」。これら絶望的な未来を避けるためにはどうしたらいいのだろうか。

ジャック・アタリが提示するのは「食の利他主義」だ。

「食の利他主義」とは、他者と自然にとってよいものを消費することが自分自身にとってもよいことであるという考え方だ。

具体的には、「少肉多菜」「少糖」「地産地消」「ゆっくり食べる」「自分が食べているものを知る」「節食」といったことを心がけることが大切だと述べている。

1つ1つ解説していく。

少肉多菜

まずあげているのが「少肉多菜」だ。つまり、肉を食べる量を減らし、野菜を食べる量を増やせということだ。これは動物愛護的な観点もあるが、牧畜によって排出される温室効果ガスの排出量を減らしたり、牧畜によって消費される水の消費量を大幅に減したり、土壌汚染を食い止めたりといった効果がある。

少糖

砂糖についても少量消費すべきだと論じる。砂糖には中毒性があるという。これを大量に摂取しすぎると、中毒になるし、肥満にあり健康を害するという。

そのため砂糖の摂取を制限することが大切だという。ちなみに2016年、WHOは肥満を撲滅するために甘味飲料に20%課税すべきだと訴えている。一部の国ではこの方針に従って、糖分を控える運動をしているという。

世界的には過剰な糖分の摂取は控えるべきだという風潮になりつつあるのだ。

ただし過度な糖質制限はすすめていない。というのも糖質が欠乏すると、人間は攻撃的な欲望を抑えられなくなるからだ。あくまで過剰摂取をやめるべきだというのだ。この点には日本では砂糖たっぷりのジュースを飲む習慣はあまりないし、糖質制限ダイエットが流行中だ。糖質の過剰の摂取に対して神経質になる必要はなさそうだ。

地産地消

地産地消も大切だという。これは、輸送に際して発生する二酸化炭酸を削減できるからだ。

グローバル化が進み、地球の裏側で栽培され食べ物を食べられるようになった。海の向こうで大量生産された食べ物を、われわれいつもで安価に食べることができる。これはグローバル化が発展したおかげだ。

しかし海の向こうで作られた食べ物を食べることは、環境をないがしろにすることでもある。輸送によって廃棄される二酸化炭素の問題もそうだ。また海外で大量生産された食べ物のなかには、化学肥料を使い、環境をないがしろにしている食べ物だ。地球環境に配慮するならば、つまり利他的になるならば、地産地消が大切なのだ。

ゆっくり食べる

ゆっくり食べることも食の利他主義になるという。

前述の通り、今までと同じペースでは、人類が食べることはできなくなる。すでに少食の人は問題ないが、過食気味の人はゆっくり食べることで、食べる量を少しでも減らす必要があるというわけだ。

また食事中にゆっくり会話を楽しむためにゆっくり食べることは大切だという。

自分が食べているものを知る

自分たちが何を食べているのかを知ることも大切だ。

これは「食のトレーサビリティ」のことだろう。つまり、その食べ物をどこの誰が、どのようにしてつくったのかを把握できることが大切ということだ。

たとえば、アメリカで遺伝子組み換えによって大量生産された食べ物は、化学物質を大量に使っている場合が、環境破壊にもつながる。そういった食品を把握して、避けていくことも、食に未来を明るくするために一歩である。

食育

当然だが食育が大切だ。現状と、このままで地球がどうなるのか、そして最悪の未来をむかえないために、何をすればいいのか、といったことを教育することが大切であることは、明らかだ。

節食

「飽食の社会で暮らす人が節食するのは、本人ならびに地球環境にとって有益だ。」と節食を呼びかけている。節度をもって食べることは、健康なからだを維持するうえでも、食の過剰生産を食い止めるうえでも大切だ。

終わりに:多くの人に手にとって欲しい一冊

以上、『食の歴史: 人類はこれまで何を食べてきたのか』について大まかに解説してきた。解説した部分は僕がとくに興味をもった部分や大切だと思った部分だけだ。他にもカニバリズムやキリスト教と食に関することなど、様々な食の歴史が解説されている。また食の未来に関しても、培養肉や受粉を手助けするロボット蜂の話、現在のフランス人の食など、ジャック・アタリ氏の視点から様々な内容が論じられている。食文化や「食べること」についてぜひ、実際に手にとって読んでほしい。

それにしても「食の利己主義」が大切だと唱えるのはさすがだ。ジャック・アタリ氏はコロナ禍の対応においても、「人々が利他的に行動することがもっとも自分のためになる」という利他主義を主張していた。

そして食の悲観的な未来に対して、やはり利他主義を主張している。

利他主義は、新自由主義的な価値観が幅を利かせている昨今、非常に需要な考え方だと僕は考えている。トランプ現象やイギリスのEU離脱など、自分の国のことしか考えられなくなっている大国が登場している。

また個人においても、「自分さえ稼げればいい」「とにかく自分のことが最優先」といった考え方の人が増えているように思う。人生は最高の暇つぶしであり、「とにかく自分が楽しく生きることを最優先するべきである」と主張する堀江貴文氏が一定の人気を得ている。また道徳観、倫理観よりもいかに稼げるかといった経済的な成功ばかり重視する人や、いかにSNSのフォロワーを増やせるかといった資本主義的な成功ばかり重視する人(たとえば田端信太郎や箕輪厚介、西村博之、与沢翼など)がもはやされている。

こういった人に人気が集まることからも、人々が個人主義の単なる利己主義に走っていることが見て取れる。

そんな社会にあって、「利他主義になることで自分が一番得する」と欧州の知の最候補がどうどうと主張してくれるのはありがたいことだ。この本ができるだけ多くの人に読まれることを願っている。

書評・書感・マンガ評 食文化
かなざわ

食文化や都市などを調べているフリーランスのブロガーです。このブログは、本や映画、漫画について、その感想を紹介するとともに、僕が調べている食文化や都市と絡めて論考できればと思っています。

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