マルクス・ガブリエルの「世界は存在しない」とはどういうことか?

最近、国内外で話題の哲学者としてマルクス・ガブリエルという人がいる。

マルクスガブリエルはドイツの哲学者でありボン大学の教授を務めており、日本のテレビ番組も度々登場する。彼の経歴は検索すれば簡単に調べられるので割愛するが、とにかくマルクス・ガブリエルは海外のみならず日本でも注目されてる哲学者の一人である。

そんな彼の主張の1つが「世界は存在しない」だ。その主張を解説する著書として『なぜ世界は存在しないのか』を出版している。

「世界は存在しない」とはどういうことなのか? われわれが当たり前のように捉えているこの「世界」、それが存在しないというのはどういう意味なのか。

本記事では先の著書『なぜ世界は存在しないのか』を参考に、「世界は存在しない」とは何なのかを解説していく。

「世界は存在しない」とは、単一の、包括的な世界が存在しないということ

「世界は存在しない」とは、端的にいうと、すべてを包括する1つの世界は存在しないということだ。

まず「世界は存在しない」という主張における「世界」とは、今目の前に見えているこの現実それ自体のことである。

今、私はカフェでパソコンを開き、キードボードを使い、パソコンに向かい文字を打ち込んでいる。となりの席では女性が勉強をしており、そのまた隣の席ではカップルが談笑している。

カフェの外には道があって、駅があって……といったように、私たちが「世界」と述べたときに想定している世界は、今のこの現実世界のことだ。「現実世界」とか「空間世界」といった言葉のほうがイメージしやすいかもしれない。

われわれはなんとなく、この世界を1つの箱のような空間と捉えている。巨大な箱があって、その中に銀河があって、太陽系があって地球があって、といったように世界をなんとなく捉えている。

しかしマルクス・ガブリエルはこの世界について、つまり1つの箱のような「世界」が、存在しないと主張している。

では世界が存在しないのなら、われわれがいま見ているこの世界は何なのだろうか。具体的に解説していく。

マルクス・ガブリエル以前の世界の捉え方(形而上学と構築主義)

マルクスガブリエル以前に見られた、世界の捉え方は2通りある。

1つはこの世界が単一の世界であるという、先に示したような捉え方だ。もう1つは、「世界は脳みそが構築したものである」という構築主義だ。

世界を単一のものと捉える形而上学

のびた、スネ夫、ジャイアン、しずかの4人が富士山を今、眺めているとする。形而上学の物事の捉え方によると、このシナリオのなかに存在する世界は1つだけだ。のびた、スネ夫がいてもいなくても世界は1つ。4人全員がいなくても世界は1つ。そこに人間のあるなしは関係ない。

たとえるなら世界は1つの超巨大な空間があって、その中に太陽系があって地球がって日本が富士山が存在しているのだとする捉え方だ。形而上学といわれる。

この世界の捉え方は、われわれが慣れている世界の捉え方だろう。物質だけが存在するのだとする唯物論的な考え方にも通ずる。

世界を脳みその構造物と捉える構築主義

もう1つの世界の捉え方は、観測者にとっての世界だけが存在するという考え方だ。

のびた、スネ夫、ジャイアン、しずかの4人が富士山を、眺めているとする場合、このシナリオのなかには、のびた、スネ夫、ジャイアン、しずかの4つの世界が存在するという考え方だ。

富士山を見ている、のびた世界。同じく富士山を見ているスネ夫世界。同じくしずか世界、ジャイアン世界、といったように。

われわれは世界を脳みそで捉えている。目の前に世界が広がっていると考えているが、その世界は脳みそが見せているものにすぎない。今、見ているものが現実に存在しているのかどうかはわからない。

たとえば今あなたが覗き込んでいるPC・スマートフォンは、あなたの目を通して脳みそで知覚し、PC・スマートフォンの像を脳みそ内につくっている。あなたが今、見ているものは、脳が映し出した映像にすぎない。すべては錯覚である可能性もあるのだ。

ちょうど映画「マトリックス」のように、電極で繋がれて眠っており、すべては脳の錯覚によって作り出されている世界かもしれない。もしくは映画「インセプション」のように、果てしない夢の中なのかもしれない。

世界は存在するかもしれないが、存在するかどうかは確認できない。これは構築主義という世界の捉え方だ。ラッセルの「世界は5分前にできたかもしれない」という世界5分前仮設も、構築主義に通じるものがある。

世界を単一の、絶対的なものと考える形而上学。そして世界を、人間が脳内でつくっているものにすぎない考える構築主義。

この2つがこれまでの世界の捉え方であり、マルクスガブリエルはこの2つの捉え方を否定する。

マルクスガブリエルの世界の捉え方

マルクスガブリエルの世界の捉え方は、無数の小さな世界が存在している、というものだ。先に紹介した2つの世界の捉え方(形而上学、構築主義)のような世界は存在しないという意味で、「世界は存在しない」と主張している。

またのびた達の4人を例にとる。

のびた、スネ夫、ジャイアン、しずかの4人が富士山を今、眺めているとする。マルクスガブリエルの考え方による、このシナリオのなかに存在するのは、のびた、スネ夫、ジャイアン、しずか、そして富士山が存在している場所の5つ世界だ。

この5つの世界は最低数にすぎない。他にも、筆者がこの場で、先のシナリオを説明しているという意味で1つの世界が存在するし、このシナリオを読んでいるあなたのなかにも1つの世界が存在する。

マルクスガブリエルの世界の捉え方。無数の小さな世界が存在している

「このシナリオを読んでいる人間が存在しており、その人間の視点による世界が1つ存在する、その意味ではもう1つの世界が存在」といったように、「〇〇という意味では世界が1つ存在するといえる」といったように表現することができる。

ここからマルクス・ガブリエルは「世界は存在しない。無数の意味の場が存在するだけだ」といったように表現している。「〇〇という意味では…」といった言い回しで、われわれは無限に世界を見つけることができる。だから彼は、無数の小さな世界が存在するとも言っている。

またもう1つの例を紹介する。たとえば「ドラえもんは存在するのか?」という問について、形而上学と構築主義の考え方では、「今のところ存在しない」という回答になる。

一方でマルクス・ガブリエルの考え方では、「物理的には存在しないが、想像上の世界やアニメの世界、マンガの世界ではたしかに存在している」と解釈する。つまり物理的世界、想像上の世界、マンガの世界といったように複数の小さな世界、もしくは「〇〇という意味では存在する」といったように意味の場で捉えて、その1つ1つを世界としてカウントする。

とにかく彼の考え方によると、すべてを包括する単一の「世界」や、自分の脳みその中だけに存在するような「世界」は存在しておらず、複数の、無数の小さな世界が存在していると捉えるのだ。

この世界の捉え方は「世界は存在しない」という言葉と矛盾しているように思えるが、彼はあくまで、形而上学や構築主義がしてきた世界観における世界は存在しないといっているのだろう。

「世界は存在しない」とはどういうことか?

完結に答えるとすると、「この世界には、単一の現実世界は存在しない。無数の小さな世界が存在しているのである、ということだ」となる。

マルクス・ガブリエルが考える人生の意味とは

本書『なぜ世界は存在しないのか』の終盤では、律儀にも人生の意味について回答してくれている。

マルクス・ガブリエルの世界の捉え方による人生の意味とは何か。

人生の意味とは、生きると いうことにほかなりません。つまり、尽きることのない意味に取り組み続けるということです。

(略)

次の一歩は、すべてを包摂する基本構造なるものを断念すること、その代わりに、現にみられる数多くの構造をもっとよく、もっと先入観なく、もっと創造的に理解するべく共同で取り組むことです。わたしたちは何を維持すべきで、 何を変えるべきなのかを、いっそうよく判断できるようにならなければなりません。あらゆるものが存在しているからといって、あらゆるものがよいということにはならないからです。

なぜ世界は存在しないのか

とてもふわっとした文章であるが、つまるところ、「これが正しい」といったような唯一絶対の真理を探すのは止めて、色々なことを勉強して、みんなと連携して、世の中を良くしていこうぜ、ということだろう。

マルクス・ガブリエルの「世界は存在しない」という世界の捉え方は、「新実在論」と呼ばれている。この新実在論は、われわれどう生きるべきか、という実存的な問にも通じてくるもので、その意味で、どう生きたらないいのか、という悩みを抱えている方に、役に立つ部分もあるのではないだろうか。