オタクには切ない映画だった…【レディ・プレイヤー1】を観た感想

レディプレイヤー1

スティーブンスピルバーグ監督。

ガンダムやメカゴジラなど日本でもおなじみのキャラクターがでてくる映画「レディ・プレイヤー1」を観てきました。

その感想を紹介します。

すでに映画を観た方向けの感想ですので、あらすじや用語の説明は省きます。またネタバレもあります。

「リアルが大切だ!」といわれる切なさ……

オタクのハリデーは現実派

オアシスの創始者であるジェームズ・ハリデーは終盤のシーンで言います。

「リアルに生きづらさを感じていた」と。

この言葉からもわかるように、創始者ハリデーは生きづらいリアルの逃げ場として「オアシス」という仮想現実を作ったと考えられます。

だからといって、創始者ハリデーはリアルを否定しているわけではありません。

映画の終盤にハリデーは「リアルでしかメシの上手さは感じられない」「リアルこそ大事にすべき」という発言をしています。

「リアルも大切にしろ!」というオタク向け映画

「リアル大切!!」というのはこの映画を通して伝えられる主なメッセージでもあります。

僕を含め、ゲームやネットの世界に没頭している人間にとって、「リアルも大切だぞ」というのは理解できる主張でしょう。

しかしオタクカルチャーをふんだんに取り入れ、オタクのために作られたような映画が

「リアルが大切!」

と主張してしまうことにどこか切なさを感じます。

「好きなだけバーチャルに没頭してもいいんだよ」と言ってほしかったような気がしてしまうのです。

また「結局リアルが一番なのか……」という落胆もあります。

結局リアルが充実してないとダメなの?

「レディ・プレイヤー1」のような仮想現実、2次元的なものを題材にした映画が、あまりにも直接的に「リアルが大切だよ」と言ってしまうと、

どれだけバーチャルが充実していても、リアルが充実していなければ人生は充実してない

と言われているような気がしてしまうのです。

バーチャルに逃げてはいけないなら、リアルが充実していない人はどうすればいいのでしょうか。

どこに逃げればいいのでしょうか。
どこに居場所を求めればいいのでしょうか。

結局「非リアは輝けないのか……」という切なさ、落胆を感じてしまうのです。

週2回のオアシス定休日は非リアからすれば迷惑

主人公の少年ウェイドはオアシスの経営権を獲得します。

そしてリアルに触れる機会を設けるために週2日はオアシスを休みにすることにします。

そんな行動に正直、「ウェイドめっちゃ身勝手やん」と怒りすら感じました。

リア充になってから上から目線なウェイド

主人公の少年ウェイドは、もともと非リアです。

リアルが充実していなくて、現実逃避の手段としてオアシスに没頭し、依存していました。

その没頭ぶりは、ゲーム内の触覚が伝わるスーツを購入してウハウハになっている様子や、創業者の価値観にめちゃくちゃ詳しい様子からわかると思います。

そんな非リアのウェイドは、創始者ハリデーが用意したゲームに勝ち、お金と名誉、そしてカワイイ彼女をゲットします。

お金も彼女もゲットしてスーパーリア充になるわけです。

リア充になったウェイドは、急に「リアルも大切だぜ!」などと主張し始め、週2日のオアシス定休日を設定します。

これはつまり、非リアサイドの人間だと思っていたら急に彼女ができて、非リアに対して上から目線で

「お前らも早く3次元の彼女作れよ!」

と言ってくるような、めちゃくちゃウザいヤツなわけです。

週2日のオアシス定休日は非リアにとって迷惑でしかない

週2日のオアシス定休日は、非リアからすれば余計なお世話でしかありません。

24時間365日オアシスにいたい。
オアシスにしか居場所がない。
できれば1秒もリアルにいたくない。

という非リアもいるはずです。

そんな非リアからすれば、週2日のオアシス定休日は迷惑でしかありません。

定休日のせいで週2日は強制的に、極力避けたいリアルで過ごさなければいけないのですから。

「レディ・プレイヤー1」は「現実から目を背けるな!」という体育会系なメッセージが込められた映画

「レディ・プレイヤー1」が本当に言いたいのは、

「リアルも大切だよ」という小学生でも理解できる簡単なメッセージではなく、

「現実から目を背けるな!」という体育会系のような厳しいメッセージなのではないかと思います。

荒廃した世界

「レディ・プレイヤー1」は、環境汚染や気候変動、政治の機能不全により荒廃した世界が舞台です。

主人公のウェイドはゴミ処理場のようなスラム街に済んでいます。

しかも家は縦に積まれたトレーラーハウスで、毎日、ロープを使って地上に降りてきます。

一方で身の回りの世話を全部やってもらう大企業のCEOがいて、かなり貧富の差がある世界です。

さらに悲惨なのは、この世界がほぼほぼ無法地帯であること。

映画の途中、IOIという企業が主人公のウェイドを殺すために、トレーラーハウスにドローンで爆破を仕掛けます。

ウェイドのおばさんがなくなり、トレーラーハウスも大破するのですが、警察が動く様子はありません。最後のシーンで警察がでてくるのに。

またIOIという企業は、お金を返せなくなった人を強制的に働かせています。人権なんてないわけです。

こんな荒廃した世界だからこそ、人々はみなオアシスという仮想現実に没頭しているのですが、

「仮想現実に逃避するのではなく、ちゃんと現実にも目を向けようぜ!」

というのがこの映画が伝えたいメッセージだと思っています。

問題解決から目を逸らしたから荒廃してしまった

厳密には覚えていませんが、映画の冒頭でこのような説明があります。

「人々は問題を解決することから目を逸らした」

つまり、環境問題や社会問題を解決するから人々は目を逸らした。

だから環境汚染や気候変動、政治の機能不全により荒廃した世界になってしまったのです。

荒廃した世界。

そんなリアル世界から逃避するように、人々はオアシスに没頭しています。

スラムの若者から、ホワイトカラーの会社員、大企業のCEOまで。

しかしオアシスに没頭しているだけでは、リアルの世界で起きている問題は何一つ解決しません。

現在の日本にも、地球にも環境問題や社会問題あります。

それらの問題から目を逸らし、放置しておけば、荒廃した世界を迎える可能性もあるでしょう。

「レディ・プレイヤー1」は「リアルも大事だよー!」というありふれた、わかりやすいメッセージを伝えたいのではなく、

「現実の問題から目を逸らすな!」
「現実の問題に立ち向かえ!」

というメッセージが込められているのではないかと思います。

ハリデーはなぜオアシスのリセットボタンを用意したのか?

最後におまけ。

映画の終盤で、ハリデーはオアシスの「リセットボタン」があることを伝えます。

時間をかけて作ったオアシスを一瞬で消すだけでなく、バックアップも消して再起不能にするという、究極のリセットボタンです。

こんなボタンをわざわざ用意していたのは、ハリデーがオアシスという現実逃避の手段を作ってしまったことに罪悪感があったからなのではないでしょうか。

荒廃した世界。オアシスを作ったせいで、人々は現実の問題から目を背けるようになった。

現実の問題に目を向け、この世界の問題を解決するためには、オアシスを消す必要があるかもしれない。

そんな気持ちがあって、ハリデーはリセットボタンを用意したのではないかと思っています。

映画評
かなざわ

食文化や都市などを調べているフリーランスのブロガーです。このブログは、本や映画、漫画について、その感想を紹介するとともに、僕が調べている食文化や都市と絡めて論考できればと思っています。

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