宮下公園・宮下パークを訪問して感じた否定的な感情など|団地的な宮下パーク、そこに多様性はあったのか?

宮下パーク

渋谷の宮下パークがオープンした。

宮下公園は以前からあったので、リニューアルオープンというべきなのだろうか。それとも建物がまったく新しくなっているので、ニューオープンというべきだろうか。

それはさておき、宮下パークは、もともと宮下公園があった場所に、完成した全長330メートルの複合商業施設だ。

1階から3階にはブランドショップや飲食店などが入居した商業施設になっており、4階にあたる屋上には宮下公園がある。公園と商業施設をミックスさせた建物というわけだ。

そんな宮下パークを訪問して感じたことをこのページでは紹介していく。

宮下パークから感じる団地感

内と外の境界が曖昧であり団地を彷彿とさせる

団地はどこからが団地の敷地で、どこからが公道かわからないようになっている。

「敷地内立入禁止」という立て札がある場合が多いが、この立て札がなかったら正直、どこからが敷地内なのかわからない。わからないからこそ「敷地内立入禁止」の立て札があるわけだ。

宮下パークはそういった団地のつくりを彷彿とさせる。

宮下パークの入り口(宮益坂近く)

宮益坂の手前の道を左に曲がると宮下パークの入口があらわれる。この入口には門のようなものはない。24時間出入り自由で公道のようになっているのだ。

さらにまっすぐ進むと、いつの間にか明治通りにぶつかる。宮下パークの敷地内を歩いていたったはずが、いつの間にか明治通り脇の歩道をあるいているのだ。

宮下パーク

いつの間にか公道だった、敷地内だったという感覚はいかにも団地的だ。

歩道橋と内部の階段が一体化

パーク中央部分の階段は、外に露出していて歩道橋も兼ねている。

宮下パーク
屋上の公園へとつながる階段。この階段は外の歩道と一体となっている
宮下パーク

以前の宮下公園がそうであったように、宮下パークも一応は通り道としての役割を備えているようだ。

外気にさらされた通路やベンチも団地的

宮下パークは、敷地内でありながら完全に室内ではない場所が存在する。ベランダというか、マンションの通路のようなつくりの場所だ。

また通路の途中にはベンチとテーブルがある。団地においても、1階の広場や踊り場に急にベンチがあらわれたりする。そういった点も団地的である。

宮下パーク
通路にあるベンチとテーブル
宮下パーク
高い柵があるのみで、身長が高い人であれば外に乗り出せてしまう
宮下パーク

こういった作りなので、歩道橋かと思ったがそこは宮下パークの敷地内だったという「公道かと思ったら団地の敷地内だった」という団地で感じるそれの感覚がある。

宮下公園の後任として、誰も使えるような公共の場として利用できるような「公」の部分をしっかり残すことを意識したのだろう。

地上からのみアクセスできる

ちなみに宮下パークは、地上からのアクセスルートしかもたない。

ここ最近、渋谷に完成した商業施設が持つ、立体的なアクセスルートが存在しないのだ。

先だって完成した渋谷ヒカリエは、副都心線の真上にあり地下からアクセスできるし、JR線の駅からも屋根付きの歩道橋を使ってアクセスできる。ストリームもスクランブルも、地下と地上の高架で完全につながっている。ヒカリエ、ストリーム、スクランブル、この3つのビルは屋外にでることなく、地上を歩くことなく、縦横無尽に移動できるようになっている。さらにいうならば、反対側のマークシティそうだ。

一方で、宮下パークは渋谷駅と地下においても、地上2階や3階においても、直結したルートがない。宮下パークにいこうと思ったら必ず地上1階の野外を歩き、そしてほぼ必ず信号を一度隔てる。

ここ最近渋谷に完成した商業施設としては、いささかアクセスが悪いように感じる。

すぐ横に地下鉄の出入り口があるわけだが、ここをつなぐことはしなかったし、またJR渋谷駅の2階や3階から歩道橋をのばすこともしなかった。

これは物理的に無理だったからなのだろうか。それとも公園なのだから地面を踏みしめて入場するべきであるという考えがあったからなのだろうか。

おそらく物理的に無理だったのだろう。JR渋谷駅から、のんべえ横丁をまたぎ、高架を伸ばすというアクロバットな工事ができるとは思えない。

また地下については、宮下パークの下にはちょうど渋谷川が流れている。(参考:水のない水辺から・・・「暗渠」の愉しみ方」第7回 水のない水辺に残る水ー渋谷川水系ー

そこをぶち抜いて地下をつなげることは不可能だったのだろう。というよりこの場所にこれまで地下の道がなかったのはそれが理由だろう。

というわけで宮下パークは地上1階からのアクセスが主になるわけだが、それもまた団地らしいのではないだろうか。

内側も存在する

宮下パークには完全なる室内も存在する。公共感の空間がありつつ、施設の都合で運営させる完全に私的な空間もある。

宮下パーク (
宮下パーク
宮下パーク

ショッピングモールやデパートとは違った思想

デパートやショッピングモールは基本的に内側と外側も明確にわける。ここでいう外とは野外という意味ではなく、敷地の外の空間ということ。

たとえばディズニーランドの園内には野外エリアがたくさんあるが、その野外の部分は完全に園内であり敷地外とつながることはない。内側と外側は高い壁で覆われており、内側と外側を完全にわけるようになっている。

同じくショッピングモールも基本的に内側と外側をほぼ完全にわけるようにできている。四方をモールで覆い、閉館すれば完全に人が入れない状態となる。

またデパートも同じで、1つのビルで完全に内側と外側をわけている。入り口は限定的で、一般人が使える入り口は地上1階の正面口もしくは地下駐車場、地下鉄の駅との接続部分だけだったりする。

ショッピングモールの内側と外側の話は、『ショッピングモールから考える: ユートピア・バックヤード・未来都市(大山顕、東浩紀)』が非常に示唆的なので、おすすめなのだが、こちらの著書では、ショッピングモールは外部と内部を完全に区別し、内側にユートピアをつくっている、という趣旨のことが論じられている。

詳しくは本書を読んでいただきたいのだが、このようなショッピングモールと比べると宮下パークはまったく作りが違う。地下からのアクセスこそないものの、地上1階においては入り口が無数に存在し、四方八方から宮下パークの敷地に入れるようになっている。

仮に日本がゾンビに蹂躙されたとしたら、宮下パークはショッピングモールやデパートに比べる、籠城する場所としては頼りない。

宮下パークがこのような作りなのは、もちろん宮下パークが公園の機能を兼ねているからだろう。

敷地の1つを通路として利用できるようにするのは渋谷再開発のテーマだった

ちなみにこのような外と内がつながるようなデザインは、渋谷の再開発のテーマの1つでもあるらしい。

NHKスペシャルの「東京リボーン」という番組で渋谷の再開発を特集していたのだが(NHKスペシャル 東京リボーン 第5集「渋谷 迷宮大改造」)、ここで紹介されていたのは、新しく建設するビルの一部を、公共の通路の一部として使えるように設計したという話だ。

たとえば先行して完成した渋谷ヒカリエや渋谷スクランブル、渋谷ストリームにも外側と内側をつなぐ歩道橋がある。ヒカリエには地下と地上がつながった吹き抜けのエスカレーターがあるし、渋谷スクランブルにも地下とつながった通路がある。1つの1つの道の所有者がわからなような感じだ。

これは渋谷に散らばる各路線と、ビルの1つ1つとの動線を改善することが目的なのだそうだ。建物と建物、駅と駅、駅と建物を効率よくつなぐことで、これまで課題であった渋谷のカオス状態を改善することを目指したそうだ。

宮下パークのその例に習っているのだろう。さらに宮下パークは公園の跡地というだけであり、その傾向をさらに強めたように思う。

だからそのつくりは団地のように内と外の境界が曖昧なのだろう。

公共の場をつくることを意識したのであろう

内と外が曖昧につながる宮下パークの作りは、内と外の空間を完全にわけるショッピングモールとは大きく違う。

ショッピングモールは内と外を明確にわける。モールのなかに入ってしまえば、基本的に内側から外側はみえない。空調の効いたモールのなから一歩を外にでることなく、目的を果たして、またモールの外にでる。

一方で宮下パークは、建物の敷地内ではあるが、室内ではない場所が存在する。そのなかには誰でも自由に使えるようなベンチやテーブルがあるし、そのまま屋上の庭園にでることができる。

この庭園は外の階段とつながっている。24時間開放されており、いつでも、誰でも入ることができる。その意味では公園の機能を有している。

公園に上がってみると、多くの人が芝生のうえに腰をかけていた。きれいな服に身をまとった男性、女性が、その服をべったり芝生に落とし、すわっているのだ。

この公園にはなにか不思議な空気が流れている。外の地面と変わらない、単なる芝生ではあるが、ここの芝生はなぜか座っても大丈夫な気がしてしまう。それはおそらく、周りの人がみんな座っているからだろう。

一方で変な同調圧力がないか不安にもなる。「友人が芝生にすわったから私もすわる、本当はこんなところにはすわりたくないけれど」といった些細な同調圧力が。

そんなネガティブな見方をするのは良くないのかもしれないが、正直ぼくはこの屋上公園を見学して、多くの人が地べたにすわっているのに驚いてしまった。みんなそんなに地べたに座れる人なんだっけ、と。それは最近のコロナ禍で、感染者を忌避したり、自粛しない人を過度に批判したり、潔癖な人が目立ってしまっているからだろうか。

東京発の屋上公園だった宮下公園

ちなみに旧宮下公園は、1966年に東京初の屋上公園として完成した場所だった。その名残というか、屋上公園のプライドにかけて、今回も屋上に公園をつくったのだろう。

フランスの建築家であるル・コルビュジエは近代建築の5原則のひとつとして、屋上庭園を提唱したという。

また、写真家の大山顕は『ショッピングモールから考える』という対談本のなかで、1979年の丸の内の航空写真をみてみると、ビルの屋上が運動場して活用される例が多かったと語っている。一方で、2009年の航空写真を見てみると、同じエリアには運動場はなくなり、そのかわりに空調の室外機とエレベーターの設備に屋上が占領されているという。(ショッピングモールから考える: ユートピア・バックヤード・未来都市(大山顕、東浩紀)

つまり、最近になってビルの屋上から広場が消えているというわけだ。そんな昨今状況にあってもしっかり屋上に公園を残したのは、評価できると思う。

さすがに公園があった場所というだけあって、公共性を意識しているのだろう。

治安向上に一役買ったのではないか

宮下パークはまた、渋谷の治安維持に一役買っただろう。

以前の宮下公園の近辺は明かりが少なかった。公園内部はもちろんのこと、裏の駐輪場と高架下のトンネルのところは暗く不気味で、男である筆者でも、深夜に一人で歩くのはすこしそわそわした。

宮下パークができたことで少なからずこの状況は変わったように思う。

トンネルと、のんべえ横丁の中間にある駐輪場の場所は、宮下パークのおかげで明るくなった。

宮下パーク
宮下パーク

このあたりを深夜に利用する人によってはとてもありがたいことだろう。

ホームレスが排除されたとの批判があるが

宮下パーク建設に際に話題になったのが、付近のホームレスの行き場の問題だ。宮下パークを建設するにあたって、宮下公園近辺にいたホームレスを追い出したということで一部に批判があったのだ。(参考:渋谷・宮下公園跡地に「ミヤシタパーク」開業 —— 10年に及ぶ“ホームレス排除”の歴史を振り返る

たしかに宮下公園の近辺にはホームレスがたくさん住んでいた。下のストリートビューは2009年の宮下公園の脇の明治通りに面した歩道だ。

宮下パークの建設がはじまる前は、公園の入り口、明治通り沿いのソフトバンクショップの隣あたりでよく炊き出しを行っているのをみかけた。また早朝に明治通りを歩くと、ホームレスと思われる身なりを人が空き缶を集めている様子をよくみかけたものだ。

宮下パークの建設によって、この付近にホームレスは完全にいなくなった。完成後、近くを歩いたが、ブルーシートは1つも見当たらなかった。批判がある通り、ホームレスは別の場所にいったのだ。

また宮下公園と宮下公園の脇にある明治通り沿う歩道は、夜は真っ暗で人通りはほとんどなかった。ガラの悪い若者などがたむろしていることもあり、正直、深夜は安心て歩けるような場所ではなかった。

下記のページでは宮下公園はその昔、もっと危険な場所だったという。

「社会的弱者を排除して、消費経済活動を優先するのかと批判がある一方、生まれ変わったミヤシタパークを評価する向きもあります。かつての宮下公園はホームレスだけでなく、不良や違法薬物の売人が集まる危険な場所でした。」

https://www.excite.co.jp/news/article/BusinessCareer_9L27Sti0qtpf98YiJ4Qi/?p=2

平成元年生まれの筆者が渋谷に一人で足を運ぶようになったころには(2013年頃)、さすが違法薬物の売人などはいかなっただろうが、その雰囲気は決して良いとはいえないものだった。

そんな宮下公園の近辺は宮下パークの完成によって変わったように思う。以前ホームレスの家がならんでいた場所は、ホテルと、深夜も営業しているミュージックバーがあり、道を明るく照らしている。

宮下パークの完成によって、宮下パークの薄暗い場所は消え去り、そしてホームレスもいなくなった。

排除されたともいえるし、そこに公共性はないかもしれない。

しかし宮下パークの完成によって渋谷の治安がよくなったことはたしかであろう。

宮下パークに対する批判|宮下パークは誰のための場所なのか?

宮下パークを実際に歩いて感じたのは、「ここは誰のための場所なのだろうか?」ということだ。

ここは公園という「公の場」という体裁をとりながら、まったく公の場ではない。一部の限られた人たちのための場所であった。

その一部の限られた人たちとは、「リア充」と「カネに余裕がある観光客」だ。

リア充のための場所

宮下パークには、スターバックスやアディダス、プラダやヴィトンといった多くの人が好む店がある。それ他には流行りの店やSNS映えする店、流行に敏感な人々の好奇心を刺激する店が所狭しとならんでいる。

こういったお店のラインナップをみていて、僕はあまり公共性を感じることができなかった。多様性に配慮とはいうが、単なる多数派のための商業施設なのではないかと思った。

それは宮下パークに訪れている人をみて思ったことだ。宮下パークを訪れている人の多くは、仕事があって友達もいて、恋人もしくは恋人候補がいて、健康的で、それなりに年も若い人(20代、30代)だ。

女性は似たようなシルエットの服を着ている人ばかりだった。男性は同じような髪型をしている人ばかりだった。みな同じように友人と芝生に座り、スマホのインカメラでその時をシェアしていた。

一方で、ベビーカーを引いた人や、高齢者、ちょっと汚い格好をした若者などはいなかった。

宮下パークは若くて、健康で仕事もあって、友達もいる、いわゆるリア充のための場所のように見えた。(実際に充実しているかどうかは別としてリア充のような身なり、振る舞いができる人も含む)

リア充といっていろいろな人がいる。いろいろなバックグラウンドの人がいて、そこには多様性があるだろう。

しかしその多様性の幅はたかが知れているだろう。結局は世の中の多数派が集まっているだけだ。僕にはそう見えた。

観光客のための場所

プラダやグッチのようなブランドショップ、スターバックスやマクドナルド、パンダエクスプレス(アメリカで人気の中華チェーン)、タコベル(アメリカで人気のタコスチェーン)といったグローバル飲食店チェーン店。

そして作られた赤ちょうちん街の渋谷横丁に一昔前には一軒もなかった渋谷土産屋。

宮下パーク

もはや観光客の方向ばかり向いている。

いかにも外国人ウケしそうな赤提灯街の「渋谷横丁」に、世界のどこにでもあるプラダ、グッチ、マクドナルドにスターバックス。アメリカ発として世界中に店舗があるタコベルやパンダエクスプレスといったファーストフード店。

そして施設の名前は「宮下パーク」だ。宮下公園ではなく。

「ここは観光客にウケそうなお店を片っ端から集めた、観光客のための場所だ」と僕は思った。

一部の観光客しかみていない(ハラルフードやビーガンフードを提供する店がない)

宮下パークは明らかに、観光客ウケを狙った場所である。しかしながら宮下パークが想定している観光客には、偏りがあるように感じる。というのも宮下パークの飲食店には、ハラルフードやビーガンフードを提供するお店がないからだ。

僕は渋谷センター街にある小さなケバブ屋に、ヒジャブをまとった人たちが殺到しているのをみたことがある。渋谷でハラルフードを食べられるお店が、小さなケバブ屋くらいしかなかったのだろう。実際、ネットで探しても渋谷にはハラルフードが食べられるお店が数件しかない。

渋谷には一生かけても周りきれないほどたくさんの飲食店がある。

また渋谷は、観光立国をかかげる日本の主要都市の1つであり、多様性の街でもある。

さらに宮下パークは、ブランド品店やマクドナルド、スタバ、タコベルのようなグローバルチェーンの飲食店が入る、いかにも観光客の方を向いた場所である。

そんな場所において、ハラルフードが食べられるお店がないというのは、どういうことだろうか。

宮下パークがめざす多様性というのは、結局は多数派のなかの多様性にすぎないのではないだろうか。

宮下パークに多様性や公共性はない

日本からも世界からも人が集まる渋谷なのだから、観光客と今をときめく若者の方向だけを向いていればいいのかもしれない。

そう思いもした。しかし宮下パークは「パーク」だ。「公園」だ。「公」の「園」だ。

公共の場を目指すべき場所だったはずが、完全に観光客のための商業施設になっているではないか。

いや一応、公の場として屋上の公園がある。しかしそれは本当に公の場といえるいかは微妙だ。

実際、屋上の公園を歩いたが、そこにいるのは若者だけだった。ベビーカーを引いた親子連れや高齢者はほとんどいなかった。普段会わないような人との出会いがあるような場所かといえば、まったくそうではないように思えた。

一方で、同じく最近リニューアルした新宿中央公園は、状況がまったく違った。もちろん宮下パークと同じくいかにもリア充な人がいた。一方で、不老者とも思える高齢者も、身ぎれいな高齢者も、汚い服装のスケートボーダーも、ものすごいスピードでランニングする体育会系の人も、ベビーカーを引いたママさんもいた。そこにはちゃんと多様性があるように思えた。

もちろん宮下パークと新宿中央公園を比較するのは野暮かもしれない。面積も、駅からのアクセスの良さも違う。条件が違いすぎる。

一方で公園を自称するなら、なにかもう少し、多様性に配慮した場所にはならなかったのかと思ってしまう。

宮下パークの公式サイトには「新しい出会いがある場所」という趣旨のキャッチコピーが書いていあったが、ここに集まるのはお金に余裕があってマジョリティに属する観光客と、似たような価値観を持つリア充な人たちだけだ。

宮下パークはまだ完成したばかりだ。今後なにか変化があるのかもしれない。

もしくは、そもそも渋谷の公共性とはマジョリティに資することなのかもしれない。だとすると、もはや渋谷にはリア充の若者と観光客のための場所なのかもしれない。

そんな渋谷を有する東京もまた、リア充の若者と観光客のための場所にある、余裕がない日本人は東京の外縁に追いやられていくのかもしれない。

街歩き
かなざわ

食文化や都市などを調べているフリーランスのブロガーです。このブログは、本や映画、漫画について、その感想を紹介するとともに、僕が調べている食文化や都市と絡めて論考できればと思っています。

#フォローする
スポンサーリンク
書評と文化考