肉・牛乳・米の礼賛と忌避を繰り返す日本人|『カリスマフード: 肉・乳・米と日本人(畑中三応子)』書評

カリスマフード

「肉を食うと穢(けが)れる」と、肉を忌避する一方で「肉は健康にもよく、体格がよくなる」と礼賛する。

「牛乳を飲むと骨からカルシウムが溶け出す」というトンデモ言説が存在する一方で、「牛乳は完全栄養食である」という過剰な礼賛が存在する。

「日本人は米を食べるべきだ」と推し進める一方で、「米を食うと頭が悪くなる」と米食を悪者にする。

肉、牛乳、米は過剰に礼賛されたり、過剰に忌避されたりすることがあった。

それは欧米列強に対するコンプレックスによる場合もあれば、脚気という国民病を解決するためでもあったわけだが、いずれにしても肉、牛乳、米は、他の食べ物以上に、国の情勢によってその立場が右往左往してきた食べ物である。

その様子を豊富な文献ともに紹介してくれるのが、食文化研究家の畑中三応子の『カリスマフード: 肉・乳・米と日本人』だ。

本書は、江戸時代から現代にかけて肉・乳・米と、われわれ日本人がどう向き合ってきたかを、ときに福沢諭吉や森鴎外といった著名人の言説を交えながら紹介してくれる。いうなれば肉・乳・米の近現代史を解説した一冊だ。

強烈な欧米コンプレックスから肉と牛乳を受容するようになった日本人

肉と牛乳を受容する根底にあったのは、強烈な欧米コンプレックスだ。明治時代の日本人男性の平均身長は160センチにも満たなかった。対して欧米人は180センチを超え、体格が大きく、しかも科学技術まで進んでおり、そんな欧米人が口にしているのが肉と牛乳だった。

欧米人との圧倒的な差に直面した日本人は、欧米人に追いつくため国策として肉と牛乳を推奨する。それまで宗教的に穢(けが)れるものとして忌避した動物食を「牛肉を食えばで病気が治る」「牛乳は完全栄養食だ」など、現在からすれば非科学的なスローガンを打ち立てて推奨したのだ。

欧米人を目前とした途端、態度をころっとかえるさまは滑稽でもあるが、ここには現在にも通じる、欧米人に対するコンプレックスと憧れがみてとれる。

当時は現代よりも強烈な憧れをいだいていたようで、福沢諭吉の門下生である高橋義雄は『日本人人種改良論』という日本人の人種改良を主張するものまで刊行していたほどだ。もちろんほんの一部の意見ではあるが、これほどまでに欧米人に強い憧れを抱いていたというのは驚きだ。

現在でも肉と牛乳は、反対派と賛成派のなかで右往左往している。肉だけ食べておけば問題ないとする説がある一方で、動物福祉や環境問題の観点から肉食をやめる人が増えている。

また牛乳については何かと悪者にされる機会が多い。牛乳の有害説は、ネットで検索すればいくらでもさがすことができのだが、「牛乳は骨のカルシウムを溶かす」などという恐ろしい言説まである。こういった有害説のほとんどはトンデモとして否定されているが、科学技術が発達している現代でも、明治時代とかわらず牛乳を敵視する人たちが存在しているのは驚きだ。

本書では近代の様子だけでなく、現代の様子も紹介されているのが興味深い。肉と牛乳が、政治家や文豪、経営者、トンデモ科学者によって、礼賛されたり、忌避されたり右往左往する様子をみていると、それに振り回される牧場の方たちと一般市民、そして牛乳と肉が気の毒になってくる。

庶民から将軍まで苦しんだ脚気

本書では古来から日本人が愛し続けている米についても言及している。というのも、日本人は、米中心の食文化が原因で、多くの人が命を落としているからだ。

その原因は脚気という病気だ。

本書では米食と脚気との戦いについても紹介されている。江戸から大正にかけて多くの日本人を苦しめ殺してきた脚気は、当時は原因不明の病気で、徳川15代のうち、10代の家治、13代の家定、14代の家茂が脚気でなくなっているという。また明治時代後期の海軍においては、常に兵士の3、4割が脚気に罹患している状態だったそうだ。3、4割とはそうとうだ。脚気がなければ、戦況がかわっていた戦もあっただろう。

脚気の原因は米のドカ食いと、ビタミンBの不足だったのだが、当時はビタミンなどというものは発見されておらず、伝染病なのではないかともいわれていた。

研究が進み、「パンや肉も食べておけば脚気は防げる」ということを解明した研究者もいたが、それは同時に、日本人が愛してきた米食を否定するものでもあり、痛烈な批判をあびることもあった。

また脚気の特効薬が開発されているにもかかわらず、日本人に栄養学知識が不足していたため、特効薬は受け入れられず、多くの死者をだしたという。

なかなか栄養学を受け入れられない日本人。米ばかり食べているのが原因だと認められない日本人。そのせいで多くの日本人が脚気に苦しみ、亡くなったという。

1924年には、ようやくビタミンの知識が普及し、脚気の原因がビタミン不足であるという結論に知識人が納得し、脚気の原因究明はひとまず決着した。しかしながらその後も食料不足が原因で、脚気による死亡者数は、1940年まで年間1万から2万人はいたという。

日本人がこよなく愛し続けてきた米。しかし米ばかり食べるあまり、脚気で多くの人を失ってきた。本書では脚気との戦いの様子と、米に対する知識人の論争も紹介されてる。「米を食べるとバカになる」と主張した知識人までもおり、過激ではあるが興味深いものがある。

現在も食は政治利用され、国民は右往左往する

飢えに苦しんだ時代を経て、日本は飽食の時代をむかえた。原因不明の病気はまだまだたくさんあるが、これまで苦しんできたあらゆる病気の原因は解明され、薬の服用と外科手術で治療できるようになった。

米だって肉だってたくさん食べることができる。ビタミンが不足するならサプリメントで補える。何を、どれくらい食べるかは自由に決められる。

しかしそんな時代になっても、いやそんな時代だからこそ、特定の食べ物に対する礼賛や忌避が、より一層活発になっている。

納豆やバナナ、チアシード、キヌア、ヨーグルト、これまで多くの食べ物が礼賛されてきた。テレビをつければ毎日のように健康番組が流れており、「あれを食べろ」「これを食べるな」とひっきりなしに押し付けている。1日単位で、特定の食べ物の礼賛と忌避を繰りかえしている状況だ。

そういった言説に振り回されるのに疲れたのか、一部の人は食事をやめた。1日1食の人、定期的に断食をおこなう人、必要な栄養素がつまった完全食だけで生きる人たちが増えた。

飽食の時代、われわれは何でも好きなだけ食べられる。しかしだからこそ「何も食べない」を選ぶようになった。この流れはこれからどんどん加速し、食べることは完全なる娯楽になるだろう。

国策として特定の食べ物を礼賛したり忌避したりすることは、当然これからも続く。しかし押し付けが過剰になると、食の楽しみを奪うことになり、食事そのものから離脱する人を生むことになる。「拒食症」や「会食恐怖症」が生まれたのはそういった背景もあるだろう。

あまり過剰なことはせず、「好きなものを好きなだけ食べろ」といっておく方が、われわれ人間は幸せなのではないだろうか。足りない栄養素はサプリメントでとればいいし、取りすぎた栄養素は運動で落とせばいいのではないだろうか。

『カリスマフード: 肉・乳・米と日本人』で紹介される。政治的に利用される米、肉、牛乳をみていて、そんなふうに思ってしまった。

書評・書感・マンガ評
かなざわ

食文化や都市などを調べているフリーランスのブロガーです。このブログは、本や映画、漫画について、その感想を紹介するとともに、僕が調べている食文化や都市と絡めて論考できればと思っています。

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