有用性が不明確なものにこそ国は税金を投じるべきであり、またわれわれはそれをお許容できるようになるべき

国はどんな学問分野に税金を投じるべきだろうか。大きく分ける2つあると思う。

1つは、人類にとって役立つと明確にわかる分野に投資すること。宇宙開発や最先端医療、環境問題対策などがそれに当たるだろう。研究が進めば、生活が便利になったり、社会問題を解決できる分野であり、国は率先して投資してしかるべきだ。

そしてもう1つ、役に立つかどうかわからない分野だ。役に立つかどうかわからない分野に税金を投じるなんて税金の無駄ではないか、という意見もあると思う。しかし役に立つかどうかわからない分野だからこそ、国が税金を投じて大学などに研究させてやるべきだ。

なぜなら役に立つかどうかを現時点で正確に判断することはできないのだから。

物事の有用性は今の価値観では判断できないものがある

学問・研究のなかには、有用性が明確なものと、不明確なものがある。有用性が明確な分野に税金を投じることはもちろん大切だ。しかしそういった分野は、金になるので民間に任せておいてもなんとかなる。金になる分野は自由競争の原理で、どんどん技術革新が進む。電気自動車や宇宙開発、先端医療、IT、AIなどがわかりやすい例で、金になるから多くの企業が参入し、あっという間に技術革新が起こる。

一方で、有用性が不明確な学問分野もある。

そしてこういった分野にこそ、国が積極的に税金を投じるべきなのではないかと思う。有用性が不明確な分野は、何の役に立つかわからないし、お金になるかもわからない。だからそういった分野にお金を投じようとする民間企業はまず存在しない。

ある研究分野の有用性は、現在の価値観では判断できない。つまり、今は役に立つとは思えないことでも、10年後、20年後、100年後は役に立つかもしれないのだ。

僕は以前、大学の理工学部の研究室が開催している研究発表会的なものに参加したことがある。そこでは学生が研究・開発したロボットなどが展示されていたのだが、ほとんどは有用性を感じられないものばかりだった。悪い言い方をすれば、ガラクタばかりに見えた。

しかしそれでいい。

そこにあったのはガラクタかもしれない。しかし「ガラクタ」という価値判断は、単に今の時代の価値観で判断したものでかない。その研究で得られた成果が、5年後、10年後、役に立つかもしれないし、10年後には非常に役に立つ研究分野に成長しているかもしれないのだ。

もちろんまったく役に立たない可能性もある。10年後もやはりガラクタかもしれない。しかし100年後はわからない。またそういった分野も受容できる社会のほうが、文化的に豊かであることは間違いないだろう。

物事の価値が有用性だけで判断される社会にならないために

前述のとおり学問や研究には、現在の価値観では、その有用性を判断できないものがあり、国はそれに対しても長い目でみて投資するべきだ。

なぜならそうしないとこの社会のすべてが、今の価値観においての有用性だけで判断されるような息苦しい場所になってしまうからだ。行きつく先は、無用な人間が排除される社会だろう。

無用な人間が排除される社会とは、役に立たない人間が排除される社会だ。より具体的には、稼ぐ力がない高齢者や障害者、精神疾患などで継続して働けないような社会的弱者が排除される社会だともいえる。

「弱者が排除される社会」、そんな社会が豊かな社会であるはずがない。明日は我が身だ。どんなに健康的で、頭脳明晰で、多額の税金を収めている優秀な人でも、不良の事故で社会的に弱者になってしまう可能性がある。

有用性がある人間だけが生き残れる社会を作ってしまうことは、自分が弱者になった時に、非常に困る社会だ。そんな悲惨な社会を作らないためにも、今のうちから、物事を有用性だけでは判断しない、許容度が高い社会を作るべきだろう。

つまり、たとえ有用性が不明確な分野に税金が投じられていたとしても、それでいいと、いつかは役に立つかもしれないと、余裕をもって構えていられる社会を目指すべきだろう。

少数派を守ることが国の役割であるはず

少子高齢化と景気後退の影響で、税収が減る一方で、支出が増えるというお先真っ暗な状態であるこのご時世、役に立つかわからない分野に税金を投じることは簡単なことではない。

国はどんどんスリム化し、民営化できるものはどんどん民営化している。民間企業に委託できるものはどんどん委託している。民営化するということは収益第一主義になるということだ。民間に委託するということは収益第一主義になるということだ。金になることだけやって、金にならないことは切り捨てるということであり、そこに公共性はない。

学問の自由に関しては、とりあえず確保されているが、今後、無駄を削減するという名目で、大学や研究機関に投入される税金も削減されていくだろう。またそういったことをうまくこなせる政治家が選ばれるようになってくるだろう。

そしてこの社会は今の価値観における有用性だけで、物事の価値が判断されるようになっていく。僕が大学の研究室の発表会でみた、ガラクタにみえるロボットは一切作られなくなっていく。

それがこの先の日本の未来なのかもしれない。しかしそれではいけないだろう。

もちろん国に金を出してもらっている以上に、国に文句はいえないし、本当に、自由に研究をしたければ自分のお金でどうにかするべきだという意見もあるだろう。それはごもっともだ。まったく正しい。

しかし、本当の学問自由、社会の豊かさを実現するならば、役に立つかわからない分野に税金が投じられることに、われわれは寛容になるべきだ。またそういった判断ができる政治家を選ぶようにするべきだろう。

そもそも国の本来の役割とは、民間にはできないことをやることだ。道路や水道を整備したり、限界集落に住む数人の高齢者のための利益度外視でバスを運行したり、市場原理に任せたのでは成し遂げられないことを代わりにやることだ。

障害や高齢など、諸事情で働けなくなった人に最低限を生活を保証することも、民間では絶対にできない、国の大きな役割だ。

多数派である健全な人間、働ける人間による多数決では絶対に救えない、少数派を救うのが国の役割だ。学問分野だって同じだ。有用性うんぬんとは別に、多様性を実現するために、少数派の学問・研究も国が保護するべきだろう。

お先真っ暗な日本でこんなことは無理かもしれない。しかし、お金がなくて貧しくても、弱者や少数派を思いやれる心を持てる人間でありたい。少数派、弱者、有用性不明。そういったものを受容し、許容できる社会をわれわれは目指さなければいけない。